黒崎政男著"カント『純粋理性批判』入門"を久々に読み直したので、概要を書き残しておきます。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%8E%E7%B4%94%E7%B2%8B%E7%90%86%E6%80%A7%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%80%8F%E5%85%A5%E9%96%80-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E9%BB%92%E5%B4%8E-%E6%94%BF%E7%94%B7/dp/4062581922

・アプリオリな綜合判断とは
アプリオリ=正否の判断に経験が不要
アポステリオリ=正否の判断に経験が必要
分析判断=主語の分析により述語が導かれるような判断
綜合判断=主語の分析により述語が導かれないような判断

「1+1は2である」という命題は、正否の判断に経験が不要(経験によって反証不可能)であり、
"1+1"という主語をいくら分析しても2という述語が導かれないので、アプリオリな綜合判断である。

一方、"すべてのカラスは黒い"は、アポステリオリな判断であるし、
"おばあちゃんは老人である"は、分析判断である。

・感性、悟性、カテゴリ
感性は、物自体から現象を創出する。
悟性は、現象をカテゴリに結びつける。
カテゴリは人間の判断形式を分類したものであり、感性による現象の創出に関与している。
よって、感性と悟性の合一による現象の認識は客観的妥当性を得る(マッチポンプなので)。
一方、人間の悟性は物自体を客観的に認識することはできない。

アプリオリな綜合判断が可能である(1+1=2を応用してロケットを飛ばせる)理由は、
そもそも人間が認識する世界(現象)は、感性によって、1+1=2を前提に創出されたものだから。